★(11世紀)★
1016年
<語呂>遠い昔の道長さん
<出来事>藤原道長が摂政になる。藤原氏による摂関政治全盛期の氏長者。1017年に太政大臣となる。晩年には法成寺を造営し御堂関白と呼ばれた。
1017年
<語呂>遠いな、頼通摂政の椅子
<出来事>藤原頼通が摂政となる。1019年に関白となる。
1019年
<語呂>遠い国から刀伊の入寇
<出来事>刀伊の入寇。沿海州地方の女真族である刀伊が対馬、壱岐から博多湾に侵入。大宰権帥藤原隆家によって撃退された。
1028年
<語呂>当時は有名、忠常の乱
<出来事>平忠常の乱。東国の武将平忠常がおこした反乱であるが、源頼信が戦わずして収めた。
1051年
<語呂>人を恋する前九年
<出来事>前九年の役(〜1062)。陸奥の土豪、安倍頼時が国司に反抗。源頼義、義家父子が鎮圧し、源氏の東国における勢力確立のきっかけとなる。この事件を題材にした軍記物語が「陸奥話記(ムツワキ)」。
1052年
<語呂>戦後に来た末法思想
<出来事>末法最初の年。釈迦の入滅後、正法1000年、像法1000年ののち永承7年(1052年)から末法の世に入るという末法思想が広がった。
1053年
<語呂>人は混み合う鳳凰堂
<出来事>平等院鳳凰堂の完成。平等院は藤原道長の別荘を頼通が寺院としたもの。鳳凰堂は阿弥陀堂で、定朝が寄木造で刻んだ阿弥陀如来像を安置している。
1069年
<語呂>登録抹消して荘園整理
<出来事>延久の荘園整理令。後三条天皇が記録荘園券契所を設置し、荘園の整理を始めた。
1083年
<語呂>人を闇討ち後三年の役
<出来事>後三年の役(〜1087)。清原氏の相続争いに源(八幡太郎)義家が介入。藤原清衡(キヨヒラ)を助けて清原氏を滅ぼした。これにより、源氏は東国で地位を確立した。
1086年
<語呂>入れ歯老人、白河上皇
<出来事>院政の開始。白河上皇は堀河天皇に譲位したが、院政によって自ら政治を行った。