★(12世紀)★
1124年
<語呂>人々に喜び与える金色堂
<出来事>中尊寺金色堂の完成。藤原清衡が建立。中尊寺金色堂には奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)のミイラが安置されている。

1156年
<語呂>いい頃おこった保元の乱
<出来事>保元の乱。崇徳(ストク)上皇と後白河天皇の対立に藤原氏、源氏、平氏が加わり乱に発展した。天皇側の勝利に終わり、崇徳上皇は讃岐に流された。天皇側についた平清盛や源義朝らの武士が政界に進出するきっかけとなった。

1159年
<語呂>人々ご苦労、平治の乱
<出来事>平治の乱。平清盛が源義朝を破る。後白河法皇の院政が続いていたが、以降の平氏政権が確立した。

1167年
<語呂>いい胸毛の清盛大臣
<出来事>平清盛、太政大臣に就任。最初の武家出身太政大臣となった。

1177年
<語呂>いいな、何でも話せる鹿ヶ谷
<出来事>鹿ケ谷の陰謀。後白河上皇側近らが企てた平氏打倒計画だが途中で露見し、失敗に終わった。

1179年
<語呂>「いいな、くるしめよ後白河を」と平清盛
<出来事>後白河院政を停止。平清盛は後白河法皇を幽閉し、独裁的な権力を確立した(治承の政変)。

1180年
<語呂>人々や俺に続けと源氏が挙兵
<出来事>源頼政の挙兵。後白河法皇の皇子である以仁王(モチヒトオウ)が平氏打倒を企て全国に令旨(リョウジ)を発した。自らも源頼政と挙兵。以仁王は宇治平等院で敗死したが、この事件をきっかけに各地で源氏が挙兵した。

1185年
<語呂>いいやご臨終、壇の浦
<出来事>平氏の滅亡(壇ノ浦の合戦)。一の谷の戦い、屋島の戦いを経て壇ノ浦で源平最後の合戦が行われた。安徳天皇は入水し、平家一門は滅亡した。

1185年
<語呂>いいわここで地頭になっても
<出来事>守護・地頭の設置。大江広元の建議で設置された。守護は義経追討を理由として国ごとに、地頭は諸国の荘園・公領に置かれた。

1192年
<語呂>いい国作ろう鎌倉幕府
<出来事>鎌倉幕府成立。後白河法皇の死後、後鳥羽天皇によって源頼朝が征夷大将軍に任命された。