★(13世紀)★
1205年
<語呂>いずれも豪華、新古今
<出来事>新古今和歌集。後鳥羽上皇の命により藤原定家、家隆らが編さんした勅撰和歌集。情趣、技巧に富み新古今調と言われる。
1221年
<語呂>人に不意打ち承久の乱
<出来事>承久の乱。源実朝の死後、後鳥羽上皇が幕府打倒を図って起こした事件。執権北条義時は泰時、時房を派遣し鎮圧させた。後鳥羽上皇は隠岐に流され、京都には六波羅探題が設置された。北条政子による「尼将軍の演説」が有名。
1232年
<語呂>一文(ひとふみ)に書いた御成敗式目
<出来事>御成敗式目(貞永式目)の制定。執権北条泰時によって定められた鎌倉幕府の基本法。「頼朝以来の先例と武家社会の道理」をもとにして51ケ条が定められた。武家による最初の成文法。
1247年
<語呂>一緒に死なんと三浦一族
<出来事>宝治合戦。北条時頼が三浦泰村一族を滅ぼした。
1249年
<語呂>一気に良くなる評定衆
<出来事>引付衆の設置。御家人の所領に関する訴訟を担当した。
1274年
<語呂>人になし、文永元寇襲来
<出来事>文永の役。元寇最初の事件。執権北条時宗を中心に戦ったが、元軍の集団戦法や火薬の使用に悩まされた。暴風雨に助けられ撃退した。
1279年
<語呂>一気になくなる南宋滅亡
<出来事>南宋の滅亡。
1281年
<語呂>いつ敗走、元の船
<出来事>弘安の役。2度目の元寇。再び暴風雨に助けられ元軍を撃退した。2度の元寇で、御家人竹崎季長(スエナガ)の活躍を描いたのが「蒙古襲来絵巻」である。
1285年
<語呂>人には強引、内管領
<出来事>霜月騒動。御内人(ミウチビト)の代表である内管領(ウチカンレイ)平頼綱が御家人の安達泰盛とその一族を滅ぼした事件。以後、内管領の専権が強まり、北条貞時の時代に得宗(トクソウ)専制支配が確立した。
1297年
<語呂>皮肉な永仁の徳政令
<出来事>永仁の徳政令。執権北条貞時が発布。御家人が御家人から借金をした場合は20年、非御家人から借金をした場合は期限を限らず、土地の無償取り戻しを認めた。