★(14世紀)★
1317年
<語呂>いっさいなかった文保の和談
<出来事>文保の和談。大覚寺統、持明院統から交互に天皇を立てることを約束した(両統迭立)。
1324年
<語呂>秘密知る、正中の変
<出来事>正中の変。後醍醐天皇を中心に企てられた第1回目の討幕計画であるが途中で露見して失敗に終わった。日野資朝(スケトモ)は佐渡に流されたものの、後醍醐天皇は処分を免れた。
1331年
<語呂>父さん災難、元弘の変
<出来事>元弘の変。後醍醐天皇が企てた2度目の討幕計画。失敗して後醍醐天皇は隠岐に流された。鎌倉幕府は持明院統(ジミョウイントウ)の光厳(コウゴン)天皇を擁立した。
1333年
<語呂>一味散々、鎌倉滅亡
<出来事>鎌倉幕府が滅亡。事実上の最後の執権北条高時は鎌倉を新田義貞に攻められ自殺。鎌倉幕府は滅亡した。六波羅探題は足利尊氏に滅ぼされた。
1334年
<語呂>いざみよ、建武の新政
<出来事>建武の新政。後醍醐天皇による建武の新政は、旧来の天皇親政、恩賞が公家に厚く武士に少ないなどの理由で武士からの評判が悪かった。足利尊氏の反乱で3年足らずで崩壊した。
1335年
<語呂>いざ見事な中先代
<出来事>中先代の乱。北条高時の子である時行が鎌倉幕府の再興を図って起こした反乱。一時鎌倉を占領したが足利尊氏によって鎮圧された。
1336年
<語呂>いざ見ろ建武式目
<出来事>建武式目の制定。足利尊氏によって発せられた政治方針。
1336年
<語呂>いざ去ろう、吉野へ
<出来事>後醍醐天皇、吉野へ逃げる。京都の北朝に対して、吉野山中で南朝を開いた(南北朝の対立)。
1338年
<語呂>瞳さわやか、室町幕府
<出来事>室町幕府の成立。足利尊氏が光明天皇(持明院統)から征夷大将軍に任じられる。
1351年
<語呂>いざこい菅野
<出来事>観応の擾乱。足利家の内紛に端を発し、全国に波及した動乱。これによって、軌道に乗りかけていた室町幕府の政権運営は頓挫し、風前の灯火であった南朝は息を吹き返した。
1378年
<語呂>花咲いた(8731)、花の御所
<出来事>花の御所を造営。花の御所は足利義満が造営した邸宅と幕府の総称。
1391年
<語呂>いざ悔いはなし明徳の乱
<出来事>明徳の乱。11か国の守護職を兼ね「六分一殿」と呼ばれた山名氏清を滅ぼす。3代将軍足利義満が将軍権力の強化を目指して有力守護大名の弱体化を図ったもの。
1392年
<語呂>いざ国統一南北朝
<出来事>南北朝合一。足利義満の斡旋により南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位するという形式で統一された。以後は交互に天皇を出すことが定められたが守られなかった。
1399年
<語呂>秘策苦しむ大内軍
<出来事>応永の乱。守護大名の大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こした事件。