★(17世紀)★
1603年
<語呂>人群れさわぐ江戸幕府
<出来事>江戸幕府成立。徳川家康が征夷大将軍に任じられる。1867年の15代将軍徳川慶喜による大政奉還まで、約260年間にわたる江戸時代が始まる。
1604年
<語呂>色は白色、糸割符
<出来事>糸割符制度が始まる。糸割符仲間と呼ばれる特定の商人がポルトガル船の輸入生糸を一括購入し、その後、国内の商人に売却する制度。長崎・京都・堺の商人たちが独占的に生糸の価格を決定するため、ポルトガル側は大打撃を受けた。1655年に制度廃止。
1613年
<語呂>一路勇んで欧州へ
<出来事>慶長遣欧使節の派遣。仙台藩主伊達正宗がスペイン、ローマに派遣した使節。正使は支倉常長で、ルイス=ソテロを案内役としノビスバン(メキシコ)を経てイスパニアに赴き、さらにローマ法王に謁見。交易を目指したが失敗し1620年帰国した。
1614年
<語呂>ヒーロー意思弱く冬の陣
<出来事>大坂冬の陣。京都の方広寺の鐘銘問題(「国家安康、君臣豊楽」の文字が刻まれていた)をきっかけに起こった豊臣氏と徳川氏の戦い。大坂城の外堀を埋めるという内容でいったん和議を結んだ。
1615年
<語呂>ヒーロー以後出ず夏の陣
<出来事>大坂夏の陣。冬の陣の和議はすぐに破れ再び戦いが起こった。豊臣方は敗れ、淀君と豊臣秀頼母子は自刃。徳川氏の実権が名実ともに確立し、元和偃武(ゲンナエンブ)と呼ばれる天下泰平の時代が到来した。
1615年
<語呂>異論以後なし武家諸法度
<出来事>武家諸法度(元和令)の制定。江戸幕府の大名統制法。家康が臨済宗南禅寺の僧侶、金地院崇伝(スウデン)に起草させ、二代将軍秀忠の名で伏見城で発布した。違反には改易、転封、減封など厳しい処分を行った。
1615年
<語呂>異論以後なし禁中並公家諸法度
<出来事>禁中並公家諸法度。江戸幕府の朝廷・公家統制法であり、幕府が朝廷や公家の地位を確定した基本法である。武家諸法度と同じ金地院崇伝の起草。幕末まで改訂されなかった。
1616年
<語呂>いろいろ考え平戸と長崎
<出来事>ヨーロッパ船の来航地を平戸と長崎に制限。
1623年
<語呂>一路に去ったイギリス船
<出来事>イギリスが日本を退去。オランダとの貿易競争に敗れて自ら退去した。
1624年
<語呂>一路西向くスペイン船
<出来事>イスパニア(スペイン)の来航禁止。キリスト教の布教に熱心であったイスパニア(スペイン)は、この年来航が禁止され日本を去った。
1627年
<語呂>色に悩んだ紫衣事件
<出来事>紫衣事件。幕府が紫衣(紫色の法衣や袈裟)の授与を規制したにもかかわらず、後水尾天皇は従来の慣例通り、十数人の僧侶に紫衣着用の勅許を与えた。これにより幕府と朝廷が対立。結局、後水尾天皇は明正天皇に譲位。朝廷に同調していた沢庵和尚は出羽に流された。
1633年
<語呂>一路散々奉書船
<出来事>奉書船以外の海外渡航禁止。最初の鎖国令。朱印状と老中が発行する奉書を持つ奉書船以外の海外渡航、および海外居住5年以上のものの帰国を禁止した。
1635年
<語呂>異論見事に抑えて武家諸法度
<出来事>武家諸法度の改正(寛永令)。三代将軍家光が発令。起草したのは林羅山。参勤交代を制度化し、500石積以上の大船の建造を禁止した。
1635年
<語呂>一路(16)参(3)勤交(5)代へ
<出来事>参勤交代を制度化。幕府の大名統制の制度で、諸大名を江戸に一定期間交代で参勤させた。妻子は人質代わりに江戸住まいとした。江戸・国元の往復や二重生活のために多大な出費が必要となり、諸藩の財政は困窮する。一方、幕府は統制力を強めた。
1635年
<語呂>異論見事に抑えて帰国を禁止
<出来事>日本人の海外渡航・帰国を全面禁止。
1637年
<語呂>一路みんなで島原へ
<出来事>島原の乱(〜1638)。九州の島原、天草地方を中心にキリシタンが反乱。天草領主の寺沢氏、島原領主の松倉氏の圧政に反抗し、天草四郎時貞を総大将に原城にたてこもった。オランダ船の援護を得て、老中松平信綱が鎮圧した。
1639年
<語呂>人、むさ苦しい鎖国の完成
<出来事>ポルトガル船の来航禁止。これによって鎖国が完成。以降、長崎では出島を通じてオランダ、清とのみ貿易を行う。
1641年
<語呂>いろよい返事で出島に移る
<出来事>オランダ人を出島に移す。平戸にあったオランダ商館を長崎の出島に移し、出島を通じてのみ貿易を行った。オランダからは毎年外国情勢を記した「オランダ風説書」が幕府に提出された。オランダ商館長を甲比丹(カピタン)と呼ぶ。
1643年
<語呂>一番無視された田畑永代売買禁止令
<出来事>田畑永代売買禁止令。富農への土地の集中と本百姓体制の維持のために発布されたが、質入れという手段が利用され形骸化した。明治維新後の1872年まで続いた。
1649年
<語呂>一郎よく聞け御触書
<出来事>慶安の御触書。三代将軍家光が農民統制のために出した法令。農業を奨励するとともに、衣食住の制限など農民の生活の細部まで干渉した。
1651年
<語呂>一番むごい正雪の乱
<出来事>由井正雪の乱。慶安の変とも呼ばれる。兵学者の由井正雪が牢人の丸橋忠弥らと企てた反乱未遂事件。事件の後、幕府はそれまでの武断政治から文治政治に転換し、牢人の発生を少なくするようになった。
1657年
<語呂>疲労・御難の明暦の大火
<出来事>明暦の大火。振り袖火事とも呼ばれる。江戸本郷の日蓮宗本妙寺が火元。江戸城も類焼し全市の55%が焼けた。明暦の大火の犠牲者を供養したのが回向院である。
1672年
<語呂>いろんな荷物を西廻り
<出来事>西廻り航路が開かれる。河村瑞賢が西廻り航路・東廻り航路を開く。西廻り航路の船は北前船、東廻り航路の船は松前船と呼ぶ。
1673年
<語呂>一郎涙、分地制限
<出来事>分地制限令。農民所有の土地の分割を制限する法令。分地による農民の零細化を防止し、封建体制を維持するために出された。この年の分地制限令では名主は20石、一般百姓は10石以下になる分地を認めなかった。
1685年
<語呂>いむ(いぬ)は5代のお気に入り(ピエロさんの語呂)。犬をいじめる人(1)、牢屋(68)へゴー(5) (ミキさんの語呂)。犬は御免だ([い][ぬ][は][ご]めんだ)(まさたけさんの語呂)。色々厄介五代将軍(Riyoさんの語呂)。ワンコむやみゴロゴロ生類憐みの令(のんちゃんさんの語呂)
<出来事>生類憐みの令。五代将軍綱吉による極端な動物愛護令。綱吉は子に恵まれず、子を授かるため戌年生まれにちなんで特に犬を大事にした。護持院の僧隆光(リュウコウ)のすすめによる。1709年廃止。