★(1921〜1940年)★
1921年
<語呂>引くに引けないワシントン
<出来事>ワシントン会議(〜1922)。アメリカ大統領ハーディングの提唱によりワシントンで開かれた国際会議。日・米・英・仏・伊・中国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9か国が参加し、海軍の主力艦の制限、極東、太平洋問題を協議した。ワシントン海軍軍縮条約、四カ国条約、九カ国条約を結ぶ。日本代表は加藤友三郎、幣原喜重郎、徳川家達(イエサト)。
1922年
<語呂>人、国に求める解放を
<出来事>全国水平社の設立。部落解放を目的とした組織。西光万吉らを中心に京都で設立され、水平社宣言を発表した。
1923年
<語呂>特に災難、大震災
<出来事>関東大震災。政府はモラトリアム(支払猶予令・30日間)を出し経済活動の混乱を防いだ。震災の混乱の中で労働運動家、無政府主義者、社会運動家などが虐殺された。震災の起こった9月1日は防災の日となった。
1924年
<語呂>とっくに知ってる第2次護憲運動
<出来事>第2次護憲運動。貴族院を背景に清浦奎吾内閣が成立すると、「特権官僚内閣反対、政党内閣確立」を唱え護憲三派が協力。普通選挙の実施、貴族院改革を求める運動を起こした。総選挙で勝利し、第一次加藤高明内閣が成立。
1925年
<語呂>特にご満足、日ソ国交樹立
<出来事>日ソ基本条約。ロシア革命後のシベリア出兵で日ソ間の国交交渉は遅延していたが、この年、北京で日ソ基本条約に調印。日ソ間の国交が樹立された。加藤高明内閣。
1925年
<語呂>行く25歳、選挙へ
<出来事>普通選挙法の成立。加藤高明内閣によって実現した衆議院議員選挙法の改正。納税資格制限を撤廃し、25歳以上の男子に選挙権、30歳以上の男子に被選挙権を認めた。
1925年
<語呂>いくつこらえる治安維持
<出来事>治安維持法の成立。ソ連との国交樹立によって社会主義思想が広まるのを恐れたため、社会主義者を取り締まることを目的として定められた。国体の変革、私有財産の否認を目的とする結社を禁止した。1928年には最高刑が死刑になった。
1927年
<語呂>重苦に泣いた金融恐慌
<出来事>金融恐慌。震災恐慌による震災手形の処理をめぐって鈴木商店、台湾銀行、十五銀行などが破産、休業。若槻礼次郎内閣が倒れ、田中義一内閣がモラトリアムで収拾。金融資本の集中をもたらす。
1928年
<語呂>特に約束、不戦の誓い
<出来事>パリ不戦条約。アメリカのケロッグ国務長官、フランスのブリアン外相が提案。日本を含め15カ国が参加、調印した。この条約によって,国際紛争を解決するため,あるいは国家の政策の手段として,戦争に訴えることは禁止されることになり,あらゆる国家間の紛争は平和的手段のみで解決を図ることが規定された。ケロッグ=ブリアン条約ともいう。
1928年
<語呂>一気に8人の無産政党員
<出来事>初の普通選挙実施。1925年の衆議院議員選挙法改正(普通選挙法)に基づいて実施された。無産政党員8名が当選した。
1929年
<語呂>特に苦しむ世界恐慌
<出来事>世界恐慌。アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに世界が同時不況に突入した。
1930年
<語呂>戦を避けるロンドン会議
<出来事>ロンドン軍縮会議。イギリスのマクドナルド首相の提唱で開かれ、海軍の補助艦の総保有量を制限。米:英:日=10:10:7とした。フランスとイタリアは反対し条約に加わらなかった。日本国内では統帥権干犯問題が起こった。
1930年
<語呂>戦を避ける統帥権干渉
<出来事>統帥権干犯問題。政府はロンドン海軍軍縮条約に調印したが、天皇の統帥権を侵害するのではないかと問題になった。
1930年
<語呂>ひどく未練の金解禁
<出来事>金解禁。金輸出禁止を解除し再び金の自由かつ無制限な輸出を認め,金本位制度に復帰することを目指した。金輸出解禁とも呼ぶ。浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相のもとで行われた。
1931年
<語呂>銃くさい、満州事変
<出来事>満州事変。奉天郊外の南満州鉄道の爆破(柳条湖(リュウジョウコ)事件)をきっかけに東三省(奉天・吉林・黒龍江)を占領し、満州国として独立させた。後に熱河省も占領。国際連盟はリットン調査団を派遣。
1932年
<語呂>戦に走る五・一五
<出来事>五・一五事件。海軍の青年将校を中心とするクーデター。犬養毅(イヌカイツヨシ)首相が暗殺された。この事件によって、第一次加藤高明内閣以来続いてきた政党内閣が終わった。
1932年
<語呂>戦になります満州国
<出来事>満州国の建国。満州事変の後、日本は清朝最後の皇帝宣統帝(セントウテイ)溥儀(フギ)を執政に迎え、満州国を建国。1934年には帝制とした。
1933年
<語呂>ひどくさみしい国連脱退
<出来事>国際連盟脱退。満州事変を調査したリットン報告書に基づいて、国際連盟総会で対日勧告案が出され採択された。これを不服とした日本代表は松岡洋右(ヨウスケ)はその場で退場。同月、日本は国際連盟を脱退した。
1933年
<語呂>人苦しみ散々,ヒトラー政権
<出来事>ドイツでヒトラーが政権をにぎる。
1936年
<語呂>いくさ無理矢理、二・二六
<出来事>二・二六事件。陸軍皇道派の青年将校を中心とするクーデター。斎藤実(マコト)内大臣、高橋是清(コレキヨ)蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害。この事件によって岡田啓介内閣は崩壊し,軍の政治的発言権が強化された。
1937年
<語呂>いくさ長引く日中戦争
<出来事>日中戦争(〜1945)。北京郊外で発生した蘆溝橋(ロコウキョウ)事件をきっかけにした日中間の戦争。第一次近衛文麿内閣は戦線不拡大を表明したが、次第に戦乱は拡大し全面戦争に突入した。
1938年
<語呂>いくさやるぞ、総動員
<出来事>国家総動員法の制定。第一次近衛文麿内閣によって公布。戦争遂行のため労務・資金・物資・物価・企業・動力・運輸・貿易・言論など国民生活の全分野を統制する権限を政府に与えた法律。議会の承認を経ずに勅令でおこなうことができるようにした。
1939年
<語呂>いくさ苦しむ第二次大戦
<出来事>第二次世界大戦(〜1945)。ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まった。
1940年
<語呂>いくよ俺たち、日独伊
<出来事>日独伊三国軍事同盟。日独伊三国のヨーロッパやアジアにおける「新秩序建設」に関して指導的地位を確認し、第3国からの攻撃に対して相互援助を協定した。これによって、日米の対立が決定的となる。
1940年
<語呂>いくよ俺たち、翼賛会
<出来事>大政翼賛会の発足。第2次近衛文麿内閣のとき組織された国民統制組織。それまでの政党は解散して翼賛会に参加した。近衛文麿首相が総裁を務めた。