★(1941〜1960年)★
1941年
<語呂>ひどく(19)よい(41)こと日ソの中立(たけいさんから頂いた語呂)
<出来事>日ソ中立条約。松岡洋右外相とソ連のモロトフ外相が調印。ソ連は独ソ戦に備え、日本は北方の脅威を除き南進をすすめた。ソ連は1945年4月に条約の不延長を通告。8月には対日宣戦した。
1941年
<語呂>いくよ一発、真珠湾
<出来事>太平洋戦争が始まる。12月8日、日本海軍のハワイ(真珠湾)攻撃により開始。ミッドウェー海戦の敗北で戦局が不利になり1945年8月ポツダム宣言の受諾で終結。日本は大東亜戦争と称した。開戦時の首相は東条英機。
1945年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>ヤルタ会談。クリミア半島のヤルタで開かれ、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが出席。第2次大戦の戦後処理やソ連の対日参戦についても討議され、ヤルタ協定を締結した。
1945年
<語呂>戦苦・地獄もおしまい
<出来事>ポツダム宣言受諾。7月26日,米・英・中3か国の首脳の名前で発せられた日本に無条件降伏を要求する共同宣言。ソ連は8 月8日対日宣戦とともにこの宣言に参加。日本は8月14日これを受諾。内容は,軍国主義の除去,日本占領,領土制限,軍隊の武装解除,戦争犯罪人の処罰と民主主義の復活強化,基本的人権の確立,軍需産業の廃止など。日本復興の基本的方針となった。終戦時の首相は鈴木貫太郎。
1945年
<語呂>ひどく汚れた国際連合
<出来事>国際連合の発足。サンフランシスコ会議で設立が決まる。原加盟国は51カ国。
1945年
<語呂>得しろ農民、第1次農地改革
<出来事>第1次農地改革。小作料金納化の実施と、不在地主の全貸付地および平均五町歩以上の在村地主の貸付地を小作人の希望によって強制的に譲渡させようとするものであったが、不徹底であるとして農民組合が反対、GHQからも批判を受けて実行不能となった。
1946年
<語呂>ひどく喜ぶ憲法発布
<出来事>日本国憲法の公布。1946年2月GHQが幣原喜重郎(シデハラキジュウロウ)内閣に原案を提示。吉田内閣のもとで議会審議した。1946年11月3日公布、1947年5月3日施行。
1947年
<語呂>得しなさい農民、第2次農地改革
<出来事>第2次農地改革。
1947年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>教育基本法公布。教育勅語(1890年)の廃止のあと成立した戦後民主主義教育の中心となる法律。
1947年
<語呂>徳よなにより独占禁止
<出来事>独占禁止法の制定。正式には「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」。公正取引委員会が運用する。
1949年
<語呂>一国よくできた中華人民共和国
<出来事>中華人民共和国の成立。終戦後、再び内戦が起こり、毛沢東を中心に中華人民共和国が成立。蒋介石の国民党は台湾に逃れる。
1950年
<語呂>特需はこれから朝鮮戦争
<出来事>朝鮮戦争(〜1953)。アメリカは国連軍として大韓民国を支援。中国は大量の義勇兵を送り北朝鮮を支援した。1953年には北緯38度線を基準に休戦協定が成立。日本経済は特需で潤った。
1951年
<語呂>ひどく強引、平和条約
<出来事>サンフランシスコ平和条約。アメリカを中心とした西側との単独講和条約。48か国との間に締結。中国は招かれず、インド・ビルマ・ユーゴは不参加。ソ連・ポーランド・チェコは調印拒否した。日本の全権は吉田茂。この条約で日本は主権を回復した。
1951年
<語呂>一国強引、安保条約
<出来事>日米安全保障条約。サンフランシスコ講和条約とともに日米間に締結された日本の防衛のための条約。1960年の安保改訂を経て現在に至る。
1953年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>テレビ放送始まる。日本で初めてのテレビ放送が始まった。
1954年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>第五福竜丸事件。南太平洋のビキニ環礁でアメリカが行なった水爆実験のため、操業中の漁船第五福竜丸が死の灰を浴び、乗組員が死亡した事件。原水爆禁止運動発展の契機となった。
1955年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>保守合同。自由党(緒方竹虎総裁)と民主党(鳩山一郎総裁)の2つの保守政党が合同し、新たに自由民主党を結成した。同じく1955年には左右社会党も統一され、いわゆる55年体制が成立する。
1955年
<語呂>(よい語呂合わせがまだありません)
<出来事>第1回アジア・アフリカ会議。インドネシア・ジャワ島の高原都市バンドンで開かれた日本を含む29か国の政府代表が参加した会議。バンドン会議とも呼ばれる。アジア・アフリカの旧植民地国が独立後、欧米諸国を入れずに結集した初めての国際会議であった。
1956年
<語呂>ころ(56)あい見て日ソ国交回復
<出来事>日ソ共同宣言。第二次世界大戦における日本・ソ連間の戦争状態を終了させた宣言。鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで調印。両国間の北方領土の主張が食い違い,現在でも平和条約の調印は行われていない。
1956年
<語呂>国際連合に行くころだ
<出来事>日本が国際連合に加入。日ソ共同宣言をうけて1956年12月、第3次鳩山内閣のもとで国際連合加盟が実現した。日本は国際社会に復帰。
1960年
<語呂>ひどく群れなし国会包囲
<出来事>日米安全保障条約の改定。岸信介首相が1月に訪米し調印。自民党が条約批准を強行したため反対闘争が激化。安保改訂を実現したあと岸内閣は退陣した。