−えん1(en1)−
・宴安は酖毒(えんあんはちんどく) 徒(いたずら)に遊び楽しむことは毒薬のように人を損なうものだ。 ★「酖毒」は、鴆(ちん)という毒鳥の羽を酒に浸して得た猛毒。 出典:「春秋左伝−閔公元年」
・焔焔に滅せずんば炎炎を若何せん(えんえんにめっせずんばえんえんをいかんせん) 火は、燃え始めたときに消さないと、燃え上がってからではどうしようもなくなることから、転じて、災いは小さいうちに防がないと、手の施しようがなくなる。 出典:「孔子家語−観周」
・焔煙天に漲る(えんえんてんにみなぎる) 煙と炎とが空一面に充満する。火事が盛んに燃え広がる様子。
・鴛鴦の契り(えんおうのちぎり) 睦まじい夫婦の関係。 類:●比翼連理(ひよくれんり)●比翼の鳥●連理の枝●比目(ひもく)の魚 蛇足:「鴛」は雄、「鴦」は雌のおしどり<国語大辞典(小)> 出典:御伽草子(おとぎぞうし) 室町〜江戸初期に作られた短編の物語。写本、絵巻物、奈良絵本として伝わったが、江戸享保の頃、大坂の書店渋川清右衛門がそのうちの23編を集めて「御伽文庫」とし刊行、その作品を「御伽草子」と呼んだ。以後、広く類する室町時代頃成立の短編小説類をも指す。多くは、空想的、教訓的、啓蒙的な老幼婦女向きのもので、総数300編以上。
・煙火中の人(えんかちゅうのひと) 煮炊きした物を食べる人、即ち俗世界の人。
・煙霞の痼疾(えんかのこしつ)[=癖(へき)] 煙霞は自然の良い景色。深く自然の風景を愛する人の習性を、久しく治らない病(やまい)に喩えて言った言葉。 出典:「唐書−隠逸・田游巌伝」「臣所謂泉石膏肓、煙霞痼疾者」
・捐館(えんかん) 住居を捐(す)てて世を去るという意味で、死去すること。類:●館舎を捐(す)つ 
・縁起が良い(えんぎがいい) 1.ものごとを行なうに当たって、良い兆(きざ)しである。 類:●幸先(さいさき)が良い 例:「茶柱とは、朝から縁起が良い」 2.幸運を齎(もたら)すと信じられているものである。縁起を祝うためのものである。 類:●縁起物●マスコット 例:「縁起が良い招き猫」
・縁起でもない(えんぎでもない) 良い前兆でもないという意味で、不吉なものを感じて幸先(さいさき)が悪い。不吉だ。とんでもない。
・縁起を担ぐ(えんぎをかつぐ) ある事象が良い前兆であるか不吉な前兆であるかを気に掛ける。 類:●験を担ぐ●御幣を担ぐ
・遠交近攻(えんこうきんこう)
・猿猴月を取る(えんこうつきをとる)
・円鑿方(えんさくほうぜい) 丸いほぞ穴に、四角いほぞを入れるという意味で、ものごとが互いに噛み合わないこと。 類:●方円鑿●円方鑿●円孔方木(えんこうほうぼく)●方底円蓋(ほうていえんがい)●鑿相容れず 出典:「史記−孟軻伝」
・遠山の眉(えんざんのまゆ)[=黛(まゆずみ)] 遠くに見える山のようにほんのりと青い眉、または、うっすらと引いた黛(まゆずみ)。美人の眉や黛の喩え。
・燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらん)
・燕雀は天地の高きを知らず(えんじゃくはてんちのたかきをしらず) 燕(つばめ)や雀は天地の広大さを知らない。転じて、見聞が狭い世間知らずの喩え。 類:●井の中の蛙大海を知らず 出典:「塩鉄論−復古」「大夫曰、宇宙之内、燕雀不知天地之高也」 出典:塩鉄論(えんてつろん) 記録書。前漢。桓寛(かんかん)。10巻60編。武帝が対外積極策をとったため財政が窮迫したので、塩鉄専売・均輸・平準・カクコなど一連の財政策を実施した。これによって国庫は充実したが、民衆の不平がたかまったので、昭帝の始元6年(前81)、各地より賢良・文学の士(約60人)を選んで都に集め、民間の不便とするところを上申させ、政府側の代表である丞相・御史大夫と論争させた。
・怨女曠夫(えんじょこうふ) 結婚適齢期になっても相手のいない女と男。また、配偶者と死別したり離別した男女も指して言う。 ★「曠」はむなしい、相手がいない意。 出典:「孟子−梁恵王・下」「内無怨女、外無曠夫」
・エンジンが掛かる(えんじんがかかる) 1.自動車などの、エンジンが始動する。2.転じて、本調子になる。調子が出てくる。 例:「残り10分を切って、やっとエンジンが掛かった」
・遠水渇を救わず(えんすいかつをすくわず)[=近火を〜] 遠くにあるものは急の用には役立たない。 類:●遠くの親類より近くの他人 出典:「韓非子−説林・上」
・円石を千仞の山に転ず(えんせきをせんじんのやまにころがす) 山から深い谷底へ円い石を転がすように、勢いが付いて抑え止めることができないこと。 出典:「孫子−兵勢」
・燕石を裹み玄圃を履み魚目を帯びて漲海に遊ぶ(えんせきをつつみげんぽをふみぎょもくをおびてちょうかいにあそぶ) 「玄圃」は崑崙山上にあるという仙人の居所のこと。「漲海」は南海のこと。それぞれ宝石と真珠の本場を意味する。燕山で取れる石ころや魚の目玉を宝と思いこんで、宝石や真珠の産地へ持っていって自慢すること。自慢して却(かえ)って恥を掻くこと。 出典:「太平御覧−地部」に引く「怎子」による 参考:魚目燕石 出典:太平御覧(たいへいぎょらん) 中国の類書。1000巻。宋の太宗の時、李(りぼう)奉勅撰。太平興国8年(983)完成。初名、「太平総類」。先行の類書などから集めた引用書1690種を55部門に分類。引用書には今伝わらない書を多く含む。「御覧」。
・偃鼠河に飲めども腹を満たすに過ぎず(えんそかわにのめどもはらをみたすにすぎず)