−さも(samo)−
・然もあらばあれ(さもあらばあれ) 既に存在する事態を受けて、その事態を不本意ながら容認する気持ちを表わす。 類:●どうともなるがよい●それはそれでかまわない●ままよ●南無三 用例:伊勢−65「思ふには忍ぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ」 用例の出典:伊勢物語(いせものがたり) 平安時代の歌物語。作者不明。現存本はある男の初冠(ういこうぶり)から辞世の歌に至る約125の章段より成る。「古今集」以前に存在した業平の歌物語を中心にして、次第に他の章段が付加され、「後撰集」前後に現存の形になったかという。在五が物語。在五中将日記。勢語。
・然もありなん(さもありなん)・然もあらん・然もあろう そうであろう。尤(もっと)もなことだ。当然のことだ。
・さもしい 1.態度や様子がみすぼらしい。また、身分や地位が低く、卑(いや)しい。見苦しい。 用例:虎寛本狂言・牛馬「此めで度い市の始に何とあの様なさもしい牛が」 2.心が卑しい。品性が下劣である。 類:●浅ましい 用例:俳・十八番発句合−十二番句合題「さもしき心にも花を愛するの躰」 ★托鉢(たくはつ)して歩く法師「沙門(さもん)」がみすぼらしく感ぜられたところから、その形容詞化「さもんしい」の変化という<国語大辞典(小)> 用例の出典@:牛馬(ぎゅうば・うしうま) 狂言。各流。牛を売る男と馬を売る男が新市で場所争いをし、結局牛と馬とを競争させ、牛の方が負けるという筋。 用例の出典A:十八番発句合(じゅうはちばんほっくあわせ) 雑俳。松尾芭蕉。延宝6年(1678)。・・・詳細調査中。 人物:松尾芭蕉(まつおばしょう) 江戸前期の俳人。俳諧の革新を大成した蕉風の祖。正保元年(1644)〜元禄7年(1694)。本名忠右衛門、甚七郎宗房。幼名金作。通称甚七郎。俳号は初め宗房、のち桃青、芭蕉。別号釣月軒、泊船堂、風羅坊など。伊賀国(=三重県)上野生まれ。藤堂良忠(俳号蝉吟)に仕えたが、良忠の病死とともに致仕。京に上り諸学を修め、のち江戸に下り延宝8年(1680)深川の芭蕉庵に入居。談林風の俳諧に飽き足らず新風を求め、漢詩文調、破格調を経て「蕉風(しょうふう)」を確立。天和3年(1683)「虚栗(みなしぐり)」を刊行、江戸俳壇の主流となる。以後没年まで各地を行脚(あんぎゃ)し、紀行文を残した。更に「高悟帰俗」の理念の下、晩年に至り「軽み」を提唱。元禄7年(1694)、51歳で病没した。句集は「冬の日」「曠野」「ひさご」「猿蓑」など。紀行文は「笈の小文」「野ざらし紀行(甲子吟行)」「奥の細道」など。 参考:笈の小文(おいのこぶみ) 俳諧紀行文。松尾芭蕉。作者死後の宝永6年(1709)刊。門人乙州編。1冊。貞享4年(1687)江戸を出発、尾張を経て、郷里伊賀に入り、伊勢、吉野、奈良、大坂、須磨、明石などを巡った7ヶ月の旅を記す。別称「卯辰紀行」「芳野紀行」「大和紀行」「大和後の行記」「庚午紀行」。
・然もないと(さもないと)・然もなければ もしそうしないと。そうでないときには。 ★「さもなくば」の口語的な言い方。特に命令、勧誘表現の後にいうことが多い<国語大辞典(小)>