世界の七不思議とは-2

●第二・世界の七不思議 内容
ローマのコロッセウム(円形劇場) 1世紀に建てられ、最大直径188mで、およそ5万人の観客を収容できた。ライオンとトラのかみあい、武器を持った人間と猛獣の争い、奴隷同士の殺し合いなどの見世物を催した。暴帝ネロの時代には、多くのキリスト教徒が、このなかでライオンの餌食になったと言われている。
アレクサンドリアのカタコンベ(地下墓地) キリストが十字架にかかって死んだ後、キリスト教がまだ公認されず、厳しい迫害を受けていた頃、ギリシアやローマのキリスト教徒がこの地に逃れて、地下墓地でひそかに神を礼拝し、伝道を行い、信者や伝道者が死ぬとこの地下墓地に葬ったという。
中国の万里の長城 月から肉眼で確認出来る唯一の人工物。東は中国の渤海湾に臨む山海関から、西は甘粛省の嘉峪関までに至る全長約6000km。万里の長城に使用した材木で、高さ2.5m、厚さ1mの城壁を作るとすれば赤道直下4万キロにおよぶ世界を一周できるという。この建設に100万人の苦力が命を失ったという。秦の始皇帝が空飛ぶ馬に乗って長城建設のルートを示したという言い伝えもある。
イギリスのストーンヘンジ 巨石遺構ストーンヘンジはイギリス南部のソールズベリー近郊の草原にある。紀元前2800年に誕生。円形の敷地は直径が114mあり,そのなかに4重円の巨石の列がある。高さ6〜7mの2本の石柱の上に1本の石柱が横たわった形の3石塔が、2重の輪を形作っている。何の為に建てられたのかは不明。太陽信仰と結びついた宗教的なものであるという。
イタリアのピザの斜塔 ピザ市にあるキリスト教大聖堂の一部。1173年着工当初は、高さ100m以上になる予定だったが、3層まで工事が進んだ頃から、土台の片方が地面にめり込んで南側に傾き始めた。これを修復しながら建設が続き、1350年に計画の半分の8階建ての鐘楼として完成。塔の高さは傾斜(8度の傾き)のため、北側で約55m、南側は約53m。ガリレオ・ガリレイが重力の実験をしたことでも有名(実際は違うらしい)。塔は傾き続けていたため、倒壊の危機を救うべく修復工事が行われ、2001年6月に工事が終わり、今後300年間は倒れる事はないとか。
南京の陶塔 3世紀、南京の報国寺に建立されたが、1850年の長髪賊の乱で破壊された。陶器で造られた塔を遠くから見たら、日光に映って目をくらんだという。
イスタンプールのサンタ・ソフィア寺院 世界で一番大きい教会の一つで「教会の母」と言われる。ユナチニアヌス1世は、530年から寺院建設を開始し、16000人の労務者を従事させ、アジア、ヨーロッパにまたがる全領土から素晴らしい材料を集め、財宝を使い果たす。そのかいあって、祭壇は2トンの銀と50万個の真珠で飾られ,寺院内部には大理石が敷き詰められ、高さ54m,直径34mのドーム屋根を持つ巨大な寺院が完成。キリストの寺院として916年存在し続けたが、1453年にオスマン・トルコ帝国に征服されると、今度はイスラム教のモスクへと改築された。高さ56mの赤茶けたドームや寺院の四隅のミナレット(祈りの時間を知らせる長尖塔)があり、ビザンチン建築の粋を集めたモザイク装飾が施されている。


では、現在の七不思議を選ぶと、どのようになるのだろうか…
科学技術の進歩や情報の氾濫で、どうしても「驚き」を感じる事が少なくなってきた。
現代の七不思議は「驚異」よりは、「未知への謎」に比重がかかっているようだ。
これも時代の流れの表れなのかもしれない。
そこで、現代の七不思議の候補をあげておこう。

●現代の七不思議リスト 内容
アトランティス大陸 古代ギリシアの哲学者プラトンが言うには「一万年以上前、豊かな自然、金銀・宝石が豊かで、強力な軍事力を持っていた地上の楽園だったアトランティスは、大地震が起こり、一夜にして大西洋に沈んでしまった…」と。実際にはプラトンの創作であるという意見が有力。また、アトランティスは、エーゲ海のシーラ島であるという説もある。
ムー大陸伝説 イギリスの探検家ジェームズ・チャーチワードによって発表(碑板の読解に問題があるとされ、ムー大陸の存在に疑問がある)された、太平洋上に存在したという大陸がムー大陸。ムー帝国は、南北アメリカを合わせたぐらいの広さがあり、美しい緑の平原に包まれていた。7つの都市に6700万人を越える人が住んでいたと。しかし、12000年前に、大地震が起こり、火山という火山が一斉に噴火し、ムー大陸は、広い国土と共に、海底に沈んでしまった。その結果、ヒマラヤ、アルプス、アンデスなどの山地が形成されたとしている。
イースター島の石人像 イースター島は、チリ海岸から3000キロ西方地点にある太平洋上の火山島。1250年ごろからポリネシア人が移住し、石人像、墳墓、儀礼道路、石造りの神殿、ピラミッド等、考古学上での重要な遺跡が多い。特に石人像は、イースター島は有名。灰色の溶岩を材料として、石のみを用いた造った巨大な胸像(高さは4〜5m、重さ4〜5トン)は、島全域に散在。石人像は荒削りの凹凸面で、顔の造作は雄々しく、のっぺりした目のない顔があり、額は引っ込み、顎は突き出て、薄い唇はすぼめられ、幾分、笑みを漂わせ、鼻の先には奇妙な円盤型した覆いがかけられ、長い幅の狭い両耳が下顎まで垂れ下がっている。そして、頭には高さ1.2〜2m、直径1.6〜2.7mの円筒の赤い帽子が被されていある。いつ、誰が、何の目的で造られたのかわかっていない。
ネス湖の怪獣 イギリスの北スコットランドのネス湖。1933年の夏、スパイサー夫妻がネス湖に大きな怪獣を300mほど離れた湖水に発見。一部水中に隠れていたため全体の様子はわからないが、カメに似た頭とキリンに似た長い首を持ち、背中に五つのコブがあり、蛇のように身体をくねらせながら、かなりの速さで水面を泳ぎ水中に姿を消した。その後も、ネス湖の怪獣を見たという人が何人か現れた。そんな事から1955年、スコットランドの航海クラブ員、BBC放送局、イギリス海運省とが協力して調査し、ネス湖の怪獣の撮影に成功。その写真が、雑誌にしばしば紹介されているが、恐竜プロントサウルスそっくりの首を水面から出している写真。プロントサウルスの仲間とする説がある。
ヒマラヤの雪男 1951年のヒマラヤ探検隊参加者エリック・シプトンが撮影した巨大な足跡の写真が世界的注目を集め、雪男を目撃されて以来多くの調査隊が派遣されるきっかけとなった。雪男は背丈は1m20cmぐらい、全身深い毛におおわれ、頭髪は首筋まで垂れ下がり、顔には毛がない。人間のように二本足で立って走り、風のように速さだったという。実体が何かについては、さまざまな説があげられている。ヒト科の生物だろうという他、類人猿説から、ネアンデルタール人の子孫だと言う説、さらには630万年前にインドに出現し50万年前に中国で絶滅したとされるギガントピテクスの子孫説まである。
空飛ぶ円盤 1947年6月24日、アメリカの実業家ケニス・アーノルドが自家用機でカスケード山脈を飛行中、九個の円盤状の物体を目撃。それは、ちょうどコーヒー茶碗の受け皿を二枚合わせたような格好から、一般に空飛ぶ円盤と呼ぶようになった。空飛ぶ円盤の正体は@言葉の先入観による社会的妄想A空想とその便乗B新兵器の秘密実験説C天体、特に流説D気球、あるいわ飛行機の誤認E雲による光りの反射F蜃気楼G宇宙人の怪飛行機説などにわけられている。
バミューダ海域の謎 「魔の三角海域」と呼ばれる海域。マイアミ、プエルト・リコ、バミューダ島を結ぶバミューダ・トライアングル。この海域では、無数の船舶や航空機が何の痕跡も残さずに消滅したとされる。「バミュダーの三角地帯」と呼ばれるようになったのは、1945年から。それまでは「魔の三角地帯」「死の三角地帯」「不幸の海」「大西洋の墓場」など、色々呼ばれていた。
ナスカの地上絵 アンデス山脈の麓、砂漠に溝を掘って描かれた巨大な絵。地上絵のスケールがあまりにも大きく、空中からしかその形を識別できないため、飛行機が発明されるまでは、誰もその存在に気付かなかったし。UFOを呼ぶためとか、気球で上から眺めていたとか、古代の宇宙飛行士のために描かれた「滑走路」などいろいろ言われている。
幽霊船メアリ・セレステ号 1872年11月4日、ニュヨークからジェノバに向けて出航したメアリ・セレステ号。約一ヵ月後、乗組員が跡形もなく消えてしまう。船の船長室には、船長夫人のオルガンがまだ楽譜を載せたまま、ミシンはテーブルの上に、娘のおもちゃはきちんと片付けられていた。また、咳薬の壜が栓が空いたままこぼれもせずにおいてあった。乗組員の部屋も同様に整頓されており、洗濯物はロープに、乾いた衣類はきちんと寝棚につんであった。厨房では、朝食の用意をしていたようだが、食卓には半分しか出されていなかった。船長のゆで卵は、先端をきれいに切りとってさえあった。皿や装飾品も壊れていない。反乱があったわけでもなさそう。現在まで数多くの説、海賊襲撃説、巨大いか説、氷山での事故説、伝染病説、船長乱心説…等の説が述べられているが、真相を解明するには至っていない。

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