わらべ歌、童謡の歌詞の意味(意外に怖い)
わらべ歌や童謡、子供の頃、何気なく歌っていたわりには、恐ろしい意味がある事に気づく。改めて、当時の無邪気な声で歌っていた頃を思い出し、ここに紹介してみよう。
ただし、解釈には色々な説があり、ここに紹介するのが絶対的に正しいかと言うと、そうではなく、ただのこういう歌詞の解釈もされているという参考程度にしていただきたい。(歌詞も地方によっては違っているかもしれません)
赤い靴
歌詞『赤い靴 履いてた 女の子
異人さんに連れられて行っちゃった
横浜の 波止場から 船に乗って
異人さんに連れられて行っちゃった』
@「ひい爺さんに連れられて」や「いい爺さんに連れられて」ではない。異人さんに連れて行かれる拉致の歌。
A赤い靴を履いた子供を外人がさらって売り飛ばす歌
かごめかごめ
歌詞『かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?』
@籠の中の鳥はカモメ説。だから、「カモメ、カモメ」が「かごめかごめ」になった。
A流産の歌。「かごの中の鳥」が「赤ちゃん」、「いついつ出やる」が「出産」、「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」が「流産」を意味する
B「かごめかごめ」は「囲め囲め」を意味し、真後ろに来た子供を殺すという儀式の歌
C宝のありかを示すらしい。家康は遺言により天海大僧正が日光東照宮に家康を祀った。天海が作ったと信じられている「かごめかごめ」の歌には鶴と亀の像と籠があり、それが徳川埋蔵金のありかの場所では?
D突き落としの歌。「鶴」が「妊婦」で、「亀」が「赤ちゃん」で、後ろにいたのは誰でしょうという
E「かご」とは「遊廓にとらわれた事」、「鳥」「鶴」とは「遊女」で、遊女が脱走し、逃げているうちに、転び、身ごもっている赤ちゃんを流産する歌
F「籠の中の鳥」というは「罪人」で、「いついつ出やる」は「いつ釈放されるか」、「夜明けの晩」は「二度と日のめを見る事は無い」、「鶴と亀が滑った」は「長寿の逆の意味で死」、「後ろの正面」は「罪人の後ろに立つ首切り役人」。首が切られて、コロリと転がる罪人の顔は後ろの正面になる
森のクマさん
歌詞『ある日 森の中 熊さんに 出会った
花咲く森の道 熊さんに出会った
熊さんの 言うことにゃ お嬢さん お逃げなさい
スタコラサッサッサーのサー スタコラサッサッサーのサー
ところが あとから 熊さんが ついてくる
トコトコトーコートーコートー トコトコトーコートーコートー
お嬢さん お待ちなさい ちょっと 落とし物
白い貝殻の 小さなイヤリング
あら熊さん ありがとう お礼に 歌いましょう
ラララララーラーラーラーラー ラララララーラーラーラーラー』
@クマさんナンパの歌。熊さん、お逃げなさいと言うわりには、お嬢さんを追いかけてゆく。熊さんのナンパの手口、脅かしておいて、落し物をさせるようだ。しかも、最後にはナンパが成功して、歌を歌ってもらうという。でも、歌が「ラララ」では、熊さん、嬉しくないだろう
ずいずいずっころばし
歌詞『ずいずいずっころばし ゴマ味噌ずい
茶壺に追われてトッピンシャン
抜けたらドンドコショ
俵のネズミが米くってチュウ チュウチュウチュウ
お父さんが呼んでも お母さんが呼んでも 行きっこなあしよ
井戸のまわりでお茶碗欠いたのだあれ』
@「ネズミ」を「大名」で、江戸に向かう大名に慌てる農民、皆、戸を閉めて家にこもってしまう歌
A殿様に仕えていた小僧が、誤って茶碗を割ってしまい、井戸に身を投げしまった歌
B江戸時代の「お茶壺道中」を皮肉った歌
花いちもんめ
歌詞『勝ってうれしい 花いちもんめ
負けて悔しい 花いちもんめ
どの子が欲しい
あの子が欲しい
あの子じゃわからん
相談しましょう
そうしましょう』
@子供の人身売買の歌
しゃぼん玉
歌詞『しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
壊れて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
壊れて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ』
@作詞者の野口雨情の子供が死んで悲しみのうちにあの歌を書いたようで、だから「壊れて消えた」という哀しい歌詞を入れたよう
A「しゃぼん玉」が「魂」らしい
とおりゃんせ
歌詞『とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通してくだしゃんせ
ご用の無いもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りは怖い
怖いながらも とおりゃんせ、とおりゃんせ』
@今も流れているかどうか分からないが、鹿児島のある横断歩道で、歩行者側が青になった時に、流れていた。「行きはよいよい 帰りは怖い」で、帰りは気をつけないと交通事故になるかもしれないよという意味。
A天神様に七五三のお参りに行くときの歌。関所を通る時の通関の厳しさを歌った歌とも言われる。
B「細道」が「産道」で、「ご用」が「生きる意志」、「行き」が「産まれる」、「帰り」が「死ぬ」とい意味で、母親の腹から産まれる時の歌。
C7歳になった子供をお札と一緒に天神様に連れて行く人身御供の歌。天神様の領域には生贄である子供しか入れず、用の無い大人は入れなかった。だから、行きはよいよい帰りは怖い(行きはあっても、子供には帰りは無い)
D飢餓でひもじい思いで死ぬのなら、いっそう親の手で殺してしまおうとする親の子殺しの歌。神社には天神様がおり、迷うことなく天国に導いてくれる。最後の「行き」は「逝き」で、「帰り」は「甦り」(黄泉帰り)の意味
E埼玉県川越の三芳野神社は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地となっている
掲示板に元川越市民さんから参考までにと三芳野神社の事が書かれたので、感謝の気持ちで掲載してしまいます。そのまま掲載しますが、承諾は取っていないので、もし、ダメならご連絡下さい。
『その昔、川越三芳野神社の通り道は、民が天神様にお参りしにいき、その帰りに山賊に襲われたといわれているようです。 参拝者が「ちょっと通してくだしゃんせ」と言い、そこら辺一帯の山賊が「ご用の無いもの通しゃせぬ」と言い、「この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります」と「ご用」を言い、山賊は参拝者を通すけど、帰りは「ご用」が無いので殺していたともききました。
ちなみに、今はホームレスが住んでるようです、そして大量の野良猫が住んでいて、ちょっとした公園になっています』
みっちゃんみちみち
歌詞『みっちゃんみちみち ウンコ垂れて
紙がないから手で拭いて
もったいないから食べちゃった』
@「みちみち」を「道々」と解釈するか、「排便の音」とするか意見の分かれるところ
A「み」がつく人への恨み・悪口の歌
ちょうちょう
歌詞『ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉に とまれ
菜の葉に あいたら
桜にとまれ 桜の花の
花から 花へ
とまれよ 遊べ
遊べよ とまれ』
@蝶とは、浮気癖のある男で、花は遊郭の女達だったという歌。浮気癖のある男の妻が、幼い息子に「貴方の父親はこんな父親なの」というのを判り易く、蝶に例えて歌って聞かせたという
A曲の原曲がスペイン民謡らしい
めだかの学校
歌詞『めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎ しているよ』
@死んだ子供の遊び場は三途の川の中。三途の川の中をよく覗いてみると「お遊戯するので、おいでおいで」って呼ぶという歌
A水の中に子供の霊が集まって遊んでいるという歌。水子の霊
七つの子
歌詞『カラス なぜなくの カラスは山に
可愛七つの 子があるからよ
可愛 可愛と カラスはなくの
可愛 可愛と なくんだよ
山の古巣に 行って見て御覧
丸い眼をした いい子だよ』
@作詞家の野口雨情が7才の時に母親と別れたので、その思いの歌
A「七つの子」は「七歳の子」なのか「七羽の子」なのかの論争がある
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