109.【か】 『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』 (2001/12/25)
『臥薪嘗胆』
仇(あだ)を報(むく)いるために辛(つら)い思いをすること。目的を成し遂げるために、艱難辛苦(かんなんしんく)をすること。
故事:中国春秋時代、越との戦争で敗死した呉王闔盧(こうりょ)の子・夫差(ふさ)は、父の仇を忘れないために薪の中に臥して身を苦しめ、遂(つい)に越王の勾践(こうせん)を会稽山(かいけいざん)に追い詰めて降伏させた。一方勾践は、赦された後、苦い熊の胆を室に掛けてそれを嘗めては敗戦の恨みを思い出して、遂に夫差を破ってその恨み「会稽の恥」を雪(すす)いだ。
類:●艱難辛苦
人物@:勾践(こうせん) 中国、春秋時代の越の王(在位、前496〜前465年)。呉王闔閭(こうりょ)を敗死させたが、その子夫差(ふさ)と会稽(かいけい)山に戦って敗れ、のち名臣范蠡(はんれい)と謀(はか)って呉を滅ぼす。
人物A:夫差(ふさ)中国、春秋時代の呉の王(在位前496〜前473年)。父の闔閭(こうりょ)が越王勾践(こうせん)と戦って死ぬと、薪(まき)の上に臥して復讐を誓い、ついに越軍を破る。が、前473年、勾践によって滅ぼされた。
出典:「「史記−越世家」・「呉越春秋」・蘇軾の詩「擬孫権答曹操書」・「十八史略−一・春秋戦国・呉」など
★「史記」には、「嘗胆」の方だけ書かれており、「臥薪」についての記載はない。「呉越春秋」にも「臥薪」はなく、その代わり「抱氷」と「握火」が見える。こう見ると、「臥薪嘗胆」という言葉が始めて使われたのは、蘇軾の詩なのかもしれない。
出典:呉越春秋(ごえつしゅんじゅう) 「春秋」は、「史」の意味。中国の載記。6巻本と10巻本とがある。趙曄(ちょうか)撰。中国春秋時代における呉越両国の興亡の顛末を記したもので、呉は太伯から夫差まで、越は無余から勾践まで。時には小説家の言を借りて述べている。
人物B:蘇軾(そしょく) 中国、北宋の文人、政治家。1036〜1101。字は子瞻(しせん)、号は東坡(とうば)居士。蘇洵の子。蘇轍の兄。洵の老蘇、轍の小蘇に対して大蘇といわれる。唐宋八大家の一人。古文作家として、「赤壁賦」などの名作を残した。詩は宋代第一と称され、黄庭堅、陳師道らに影響を与えた。著に、「易書伝」「仇池筆記」「東坡志林」「東坡全集」など。
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本文の参考@:通俗三国志(つうぞくさんごくし) 読本。51巻。湖南文山(こなんぶんざん)撰。元禄5年(1692)刊。明の羅貫中の「三国志演義」を基礎とし、正史の「三国志」を参考に取捨を加え、仮名まじりに通俗化したもの。
本文の参考A:三国志演義(さんごくしえんぎ) 中国の通俗小説。24巻または12巻、240回。元の羅本(らほん)、字(あざな)は貫中、の作と言われる。「三国志」を読み物風に敷衍(ふえん)した物語で、唐代に発生した講釈の種本を纏めたもの。人間模様を雄大華麗に描き、通俗的興味に満ちている。軍学書ともなり、江戸時代には「通俗三国志」が多くの読者を持ち、後代への影響は大きい。
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