西国分寺

最近、古い資料を整理していて、昭和58年3月10日に会社に提出した「住所届」が出てきた。当時は西国分寺の日吉町にアパートを借りていた。

ここは大学3年の時から10年近く住んでいた青春時代の思い出が沢山詰まった場所であるが、現在は跡形もなく、思い出の地となってしまった。
JR民営化の前の「国鉄」だったし、新府中街道もまだない。

セカンドキャリアとして、この西国分寺が最寄り駅である医療関連施設の警備を始めることにしたが、これも西国分寺繋がりの縁なのかも。
(2024.07.19)

男鹿

35年以上前の学生の頃、男鹿を訪れた。もう記憶も曖昧なのだが、お嬢さんお二人と一緒に秋田まで行き、カメラマン役を務めた後、ひとりで帰って来た。(と記憶している。)
(1982.9.15)

とても聡明なお二人で、当時は「卒業旅行」なる言葉はまだ一般的ではなかったと思うが、それにあたるだろうか。今も友達どうしなのだろうか、お二人とも幸せな人生を送っているのだろうか、などと、青春時代を懐古するこの頃である。
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人生のひとコマ 違う道の途中で 同じ時を過ごせた この喜びを
私はロマンス映画の 主人公みたいに あなたといるだけで 心がときめいて ・・・。
(2017.12.9)

「FM-8」との出会い

 今は、PCが楽しい機械だと思えなくなってしまったのだが、若い頃は、仕事や趣味でPCを使うことがとても楽しかった。
 私が初めて触ったPCは、富士通のFM-8。

 1981年(昭和56年)5月20日に発表された、FMシリーズの初代機にあたるものだが、標準実装されていた「F-BASIC」を駆使?して、大学の卒論の中でグラフを書かせたり、住所録の管理ソフトを作ってみたりして遊んでいた。

 当時、これを自由に使わせてもらえる環境にいることが出来たのは、とても幸運であり、今でも楽しかった思い出となっている。
今は電気製品で欲しいと思えるものがないなぁ・・・。
(2020.02.24)