親指シフトキーボード

1980年代は、ワープロ(ワードやワードプレスではない)(^^;):ワードプロセッサ全盛であった。
当時、私の会社ではオアシス(OASYS)というものを使っていて、これには、もれなく、
親指シフトキーボードが付いてきた。
(⇒ http://www.ykanda.jp/catalog/catalog.htm )
この親指シフトに慣れてしまったため、今でも、文章は親指シフトで書いていて、逆に、いままで30年以上、ローマ字入力で文章を書いたことがなく、
純正ソフト(?)のJapanist(ジャパニスト)
(⇒ http://www.fujitsu.com/jp/products/software/applications/applications/japanist/ )
を使い続けている、少し(かなり?)頑固な環境かも。
japanist

現在でも、親指シフトキーボードのファンは多く、nicola 日本語入力コンソーシアム
(⇒ http://nicola.sunicom.co.jp/ )
といった公式サイトも存在している。
更に、クラウドブックとか、共通端末とかに、親指シフト環境をつくるのは抵抗を感じていたが、
昨今では、USBメモリにより、一時的に、親指シフトにしてしまう、といったことも出来るようになったため、そのハードルは低くなったようにも思う。
(⇒ https://mono96.jp/archives/17834 )
セキュリィ上、USBメモリの使用自体が許されない会社ではどうしようもないが・・・。
(2016.10.01)

「親指シフト表記付きUSBライトタッチキーボード(色:白-White)」を購入し、ASUSのクラウドブックに接続して、このページを入力中。

親指シフトキーボードが、3千円以下で、この機能なら文句なし。ヽ(´▽`)/
(2017.01.11)

富士通ミドルウェア 〔Win版〕 Japanist 2003[JAPANIST2003]

価格:4,250円
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親指シフトキーボード FKB7628-801

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御巣鷹山慰霊登山

直接関係ないが、群馬県の高崎(実際には更に20km位行った吉井町という所)へ、2000年代前半の頃に仕事の関係で時々行った。


(2001年4月13日)


(2001年4月16日)

そして、「群馬県」のキーワードで思い出すのが、1985年8月12日の「日航機墜落事故」。
当時は、とても行けそうになかったが、現在では、「上信越自動車道の開通」、「林道の整備」、「登山道の整備」等により、近くの駐車場から30分程登れば昇魂之碑へ行けるとのことで、31年以上経過して、あらためてネット検索してみた。

① 事故の情報
『日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録』
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm
『真夏の上信州 歴史的拠点を行く ①日航機墜落現場』
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ14452127…html
『ボイスレコーダーの音声』
http://www.senninnokekkai.com/video/jal123-voice-recorder.swf
『ボイスレコーダーのテキスト』
http://www.geocities.jp/jal123_19850812/CVR/CVR.htm

②アクセス情報
『御巣鷹山 慰霊登山 2013年8月12日  JAL123便の事故から28年後の 御巣鷹山の尾根(群馬県上野村)へ慰霊登山に行きました』
http://www.m-hair.com/osutakayama.html
『下の駐車場の位置』
http://maps.google.com/maps?q=36.002737,138.708669
『上の駐車場の位置』
http://maps.google.com/maps?q=36.001728,138.707493
昇魂之碑(御巣鷹山慰霊碑)の位置
http://maps.google.com/maps?q=36.000693,138.694813

ネット上には、「この事故の裏側(真実)」に関する記事が沢山UPされていて、真偽は不明だが・・・、見始めると、ついつい時間を忘れてしまう。
自宅から現場までは地図上、直線距離なら70kmだが、実際には車で約170km。
今年は是非、何らかの形で現地を訪れてみたいと考えている。
(2017.01.08)

土佐勤王党

歴史には詳しくない。が、著名な人,歴史を作った人には憧れる。

先週、小山で、「土佐勤王(皇)党」に関する写真に出会い、早速、ネットで復習。(ネットは凄い!)

なんと、勝海舟,伊藤博文,西郷隆盛,大隈重信,高杉晋作,明治天皇,坂本龍馬といった面々が揃って写っている。
「土佐勤王党」を結成した武市 半平太(たけち はんぺいた)が写っていないのが残念ではあるが、この錚々たる顔ぶれには驚かされた。
慶応元年(1865年)2月撮影、ということは、獄中だから、写っていないのは当たり前か、と、にわかにその背景を確認。
結成が文久元年(1861年)8月、そして慶応元年(1865年)閏5月11日(閏5月ってどういうことだっけ?(^^;))、半平太は切腹を命じられ、即日刑により、同日、切腹したことで、「土佐勤王党」は事実上の壊滅。

・・・と、更に、感動も束の間(T_T)。すばらしきネット情報!(?)


彦馬の「亀山社中」<https://guchini.exblog.jp/22612043/> から引用

そして、奇妙な写真が残っている・・・
写真は宣教師フルベッキと、佐賀藩が長崎にもうけた藩校・致遠館(ちえんかん)の生徒を写真家・上野彦馬が1868年(明治元年)頃に撮ったものとされる「‪フルベッキ群像写真‬」・・・

真意の実態が長年論じられて来た写真には、坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作をはじめ、勝海舟や明治天皇をも登場し明治維新の志士が一同に介した様に歪曲され、誇張され、庶民の未来の夢の想像に書き換えられている・・・

この写真はお公家の子息である岩倉兄弟が一介の藩校に入学したことを記念するため撮影された、彼らを迎えた致遠館の教師と生徒による集合写真である・・・

↑(出典)同上


「庶民の未来の夢の想像」か・・・。なるほどね。(~_~;)
(2016.12.12)