息子は、あまり昼間元気に動き回らないからなのか、疲れないからなのでしょうか、
夜、早く寝ないので、こちらも寝る時間が遅い寝不足の日々でした。じっと座って遊ぶ子でした。
ミルクをよく飲み、あっという間に10㎏に10ヶ月までになりました。
寝返りもかなり遅くてハイハイも遅かったです。
あまり喜ばしいことが少なかったのですが、歩くのは一歳のお誕生日、これはまあまあ早かった。
お話しは、よく話しかけていたので、お話しスタートが早く、おしゃべりでした。
そして、あいうえおを覚えて読めるようになるのも、2歳3ヶ月に、全て読めました。
パズルも大好き。トランプのババ抜き大好き。
足し算も大好きで、年長さんの六歳の頃には3桁を足し引きできるくらいでした。
手のかかる分、人より優れているものもあったようです。(妻)
(2016.09.09)
3. 夜と朝
入院して無事出産、
4日目辺りから赤ちゃんに母乳や、ミルクをあげたり、少しずつ子育てが始まっていきました。
母乳が出にくかったり、沐浴を練習したり、息子が良く泣くので困ったり??
色々不慣れな事もありました。
10日間、産婦人科医院にお世話になり無事、息子と私は、退院しました。
主人と向かったのは私の実家でした。
無事退院して家族皆、喜んでくれました。
赤ちゃんの名前も決まり、普通のご家庭と変わりない子育てがスタートしました。
良くあることかもしれませんが、息子はよく泣き、あまり寝ない赤ちゃんでした。
主人が仕事が翌日もあるので、自宅へ帰り、一日目の夜それは始まりました。
家族の皆もそろそろ寝ると二階に上がり、私と息子は、1階でそろそろ寝ようか、と思い、布団で寝かせていると、グズグズ、ミルクかな、オムツかな、抱っこかな、全部やってみても違う感じ?
こういう場合を考えて前もって想定して揺りかご式の手動の可動式チェア?を購入しておきました。
そうそう、これこれ、と早速乗せて揺らしてみると、うとうと息子は、し始めました?
よしよし、少しして止めると、ふにゃーグズグズ、はいはい、また、手動して、スー、と寝たかな、止めると、ふにゃー、……?
えっ?また、手動、止める、ふにゃー、
えっ??
もしかして朝までこのまま寝れない?
私の居眠りも許しません。
それは朝の5時まで、続きました?
チェアから動かすとうるさくなりそうなので、息子をそのままにして休むことにしました。
ようやく寝た、と私も朝方寝始めると、父が10時前に寝て起きてきた様子、二階から降りてきました?
そして、可愛さから、ドアをすーと開けて、息子を見てチェアから出しています?
あ、ダメだよ!今だったのと、言うのも無視して出勤前のひと抱っこを楽しんでいます。
息子も何事もなかったかのように、パチリと目を覚まして父に抱かれています。
………はっ?この家、おかしくない?
実家にいつまでいられるか不安に思った初日でした。一ヶ月も、もたなくて、少し早めに自宅へ戻っていったのをよく覚えています。
まことに親不孝な、贅沢な発言ではありますが、実際はケースバイケース、ゆっくりは出来ないものですね♪????
息子との、睡眠をとる、夜寝る時間との格闘は思えば5、6年かかって、いやもう少しかかって、ましたね。
とにかく寝ない子でした。正に夜と朝が逆転していました。(妻)
(2016.09.07)
2. 耐える
息子が産まれて10日間、入院中、産婦人科の皆様には大変お世話になりました。
子供を育てていく事、それまでの私の人生には、全く無縁の事でした。
病院では、前半は、産まれた息子の事より、帝王切開をした自分への労り、傷口へのケアの事で、夢中でした。
手術室から病室に運ばれ、まず思ったのは、トイレに行きたい!事でした。
そういえば夜中、トイレに模様して、でも力んでも出ないな?から、始まったのです。
お腹を切って産み終わり、担架で主人たちに2階の病室に運んで貰い、息も絶え絶えの主人にはとても言えません。
担当の看護婦さんに、オムツをはかせて貰いながら、初めましてのご挨拶と同時に交わした会話が……
「あの~トイレに行きたいんですが、無理 そうですよね、で、大きい方が何となく夜中からしたくて、今もなんですけど、お腹に力が入らないんですよね。何とかスッキリ出来ませんかしら?」
看護婦さんの一言は、
「そうね~そんな時あるわね~」
「でも、ま~仕方がないし、色々経験あるけど、そうゆう時は、忘れてしまう事だわね~少しの間ね。」
?ビックリでした?まさかの回答に驚きでした。
便秘で、トイレで苦しいのは、20代の不規則な生活をしていたあの頃以来でした。
特に息子がお腹に出来てからの約10ヶ月間はお通じは快調も、快調 ♪1日に何度もで、ある時は息子までトイレに流したのでは?と、ありえませんが、錯覚するほど、お腹がスッキリ、毎回が調子のよい日の連続でした。
それだけにショックなその回答に、がく然、三日間の苦しみが始まったのでした。
しかし、苦しみはそれだけではなく、腕に、点滴を二日~三日、四時間事に何本か打ち、その間は、のたうち回る程の子宮の収縮、痛み?がありました。
1日目の夜中から、それは始まったのです。
今思えば、痛み止めを打って貰えば良かったのに、「なんかね~うーん、表情見てると大丈夫そうだね~、打 たなくてもね、頑張ってみる?♪」
と、夜中仕事が終わり帰っていく看護婦さんに、何度か確認され、言われて行くうちに、そんな気持ちにもなり、では頑張っ てみるか、と、思ったのもつかの間、
「う、痛い、イタタタ、何だこれは、?」
じっとはしていられない程のお腹の痛み、右へ左へベッドの策を掴んで体勢を変 えて身体ををひねって動かさずにはいられません。
朝方産んだ時は、背中に部分麻酔を打つので、麻酔が効いていて、痛みは殆んど感じられなかったのです。
夕方、主人や、駆け付けてくれた両親、妹が帰り、夜になって来ると、段々その痛みは感じられてきました。お腹を切ったので腹筋が殆んど使えなくて、起き上がれない?
でも、ギリギリ動ける範囲で、その強い痛みから逃れるため、のたうち回る!の表現が合うようにゆっくりですが、左右へ身体をひねります。
オムツもはかされ、トイレは管を差しいつの間にかしている状態。
もう、女性として、かなりの最悪状態?
痛みに耐えて、耐えて、恥ずかしい、痛い、今日は何日目?
と、三日目の午後、やっとオムツをとって、歩いてもいいですよ♪と言われ、一番にやったことが、トイレに行って、力んだこと??
やっぱりあれは、気のせい、気の迷いではありませんでした?
しっかりしたものが、我慢した、忘れよう忘れようと努力したものが現れて、流されました。
妊娠、出産、とは、耐えることかもしれません。(妻)
(2016.09.06)